History of Hockey Game

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◽️ホッケーゲームは誰が発明したのか?
フランス系カナダ新聞によると1930年にドン・ムルノ氏が発明したとしていますが、実際には定かではありません。 わかっているのは1929年ストックホルムのゲームメーカー『アリスト・オスペル社』に、かなり大きな木製のテーブルホッケーと名付けられた試作品をとある男性が持ち込んだということです。アリスト・オスペル社ではその男性が持ち込んだテーブルホッケーのデザインを気に入り、早速その年のクリスマスに商品化し販売しました。そして、ほぼ20年間に渡りアリスト社がテーブルホッケーゲーム市場を独占し、ピーク時には年間25,000台を販売するまでに至りました。
 
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◽️1957年にスウェーデンSTIGA社参入
1957年には新規参入メーカーとして、ストックホルムから車で約3時間の所にあるトラノスを拠点とした『スティーガ社』が製造に乗り出しました。初期型はプレーヤーが平たいスチールを2枚合わせたもので、当初は内容的にアリスト・オスペル社のコピー製品といった趣で売れ行きは芳しくありませんでした。しかし2年後に、スウェーデンのスターホッケー選手のスバン・トゥンバ・ヨハンソン氏と契約することにより、売り上げは向上しました。そして、翌年からスティーガ社のテーブルホッケーゲームは、年間100,000台を売り上げスウェーデンではクリスマスプレゼントの定番商品にまでなりました。完売のためクリスマスに貰えなかった子供達は、誕生日プレゼントに貰うという人気ぶりでした。 1960年代の初め加熱するホッケーゲーム市場に新規参入メーカーとして、『アルガ社』が加わりました。この時今までスティーガ社と契約を交わしていたスター選手のスバン・トゥンバ・ヨハンソン氏は、アルガ社と契約を交わしてしまいます。アルガ社のホッケーゲームはより精密で、より丸いコーナー、より高いサイドボードを誇り、また3次元型のプレーヤーフィギアを作り臨場感を持った斬新なものでした。更にライトウィングプレーヤーがゴールの後ろに廻ることができる製品でした。しかし、レフトウィングプレーヤーにはそれができない構造となっていて、これが致命的な欠陥となりアルガ社は僅か2年でこのホッケーゲーム市場から撤退を余儀なくされます。のちにスティーガ社はレフトウィングプレーヤーをゴール裏まで回り込めるように開発します。1972年にはアリスト・オスペル社も34年に亘る厳しいホッケーゲーム市場から撤退したため、以来スティーガ社の競合相手はなくなりました。
 
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◽️STIGA社主催のホッケーゲーム世界選手権
スティーガ社では1962年に第一号のプラスチック製ゲーム台を製造し、1968年に3次元型のプレーヤーフィギアを作り当時色づけはトラノスの町中の人々がすべて手作業で行っていました。1982年に第1回ホッケーゲームスウェーデン公式選手権が開催され、ゴーラン・アグドュール氏が優勝し初代国内チャンピオンになりました。現在ゴーラン・アグドュール氏はスポーツ大使として活躍されています。翌年1983年にはスティーガ社主催の第1回ホッケーゲーム世界選手権がスウェーデンのストックホルムで開催され、以来2年に1度世界各国で開催されています。 またこの年プレーヤーフィギアのカラーペイント生産ができるようになりました。
 
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◽️NHL(北米プロホッケーリーグ)のライセンスを取得
1987年にはゲーム台の隅々までプレーヤーフィギアを動かせるように改良し、1996年には現在のデザインに仕上げました。1998年にはスティーガ社はNHL(北米プロホッケーリーグ)ライセンスを取得しホッケーゲームでのNHLチーム・ロゴの使用を可能にしました。 現在では、NHLチームプレーヤーフィギアには一つ一つ手作業で色づけされており、チームも自分たちの好きなものが選べるようになり世界中のファンを虜にしています。 また、2001年にはチェコ共和国のピルゼンで世界選手権を開催し、17カ国の人々が参加しました。また、公式選手権以外にもモスクワ・オープン、リガ・カップなど、数多くの大会が今でも各国で開催されています。

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